ブラック・ジャックの憂鬱

高校時代、手塚治虫先生の医療漫画“ブラック・ジャック”を周囲の皆が読んでいました。作品では「医師は患者の延命を行うことが使命なのか、患者を延命させることでその患者を幸福にできるのか」という医師のジレンマがテーマでした。天才的な手術の腕で難病患者を救うブラック・ジャックに対して、安楽死を請け負うドクター・キリコが対照的に描かれていました。

医学部入学時のオリエンテーションでは”ヒポクラテスの誓い”が配られました。”医神アポロン、アスクレピオス、ヒギエイア、パナケイアおよびすべての男神と女神に誓う。私の能力と判断にしたがってこの誓いと約束を守ることを。・・・この誓いを守りつづける限り、私は、いつも医術の実施を楽しみつつ生きてすべての人から尊敬されるであろう。もしこの誓いを破るならばその反対の運命をたまわりたい。“。医学における診断技術、治療手段は、ヒポクラテスの活躍した古代ギリシア時代から目まぐるしく進歩してきていますが、患者の生命、プライバシー保護などの医の倫理精神は現代にも十分通用するところであり、現代版ヒポクラテスの誓いとしてジュネーブ宣言のなかに生かされているとのことです。

17世紀にデカルトが人間を精神と肉体と機械とみる物心二元論を提唱し、自然を機械のように見なす機械的自然観がもたらされたと言われています。18世紀には、ラ・メトリーが霊魂の存在を否定し、デカルトの動物機械説を人間にも適用した「人間機械論」を提唱しています。そして現在、機械のように不調になった臓器を交換していく臓器移植が現実のものとなっています。科学の進歩は個人の寿命を延ばすために強力な治療法をもたらしています。ES細胞、iPS細胞などの生命科学の分野では、もはや神の領域まで人類の智恵が及んで来ており、人類は自然進化の流れから逸脱した存在となってきているように思われます。原子力技術の場合と同じように行き過ぎた生命科学技術は決して人類に幸せをもたらさないのではないか危惧されます。

ところで、人間機械論的な西洋医学では“勝てば官軍”であり、病気(敵)を倒すことが医学の勝利となると思われます。私は医学部を卒業してからは、循環器内科医として虚血性心疾患のカテーテル治療を行ってきました。メスではなくカテ(カテーテル)を持った”ブラック・ジャック“の様に、救命するために出来るだけ手を尽してきたように思います。全ての患者さんの治療が成功して退院できれば理想的ですが、救命できない場合も数多くありました。ICUでは助からないかもしれないと分かっていても、一旦始めた人工呼吸器は外せず、カテコラミン治療を止める事はできません。始めは救急治療であっても助からなければ自ずと延命治療となっていきました。当時は病気のことを最もよく知るのは専門家である医師であり、患者は医師の決定に従うべきであるという”パターナリズム(医療父権主義)“の時代であり、治療については医師への全権委任(お任せ医療)であったと思います。延命治療の中止は死を意味するため、一旦始めると止めることができなくなり、医師も家族も疲弊するばかりで、医師、患者、家族の三者にとってQOLは低いものであったと思います。家族にとっては延命治療継続することで患者の死を受け入れるために必要な時間となったかもしれませんが。助からないと分かりつつ治療を続けていくことはジレンマでした。

勤務医から開業医となり、病院ではあまり見ることのない退院してからの患者さんの姿を知ることとなりました。開業してから特別養護老人ホームの嘱託医となり10年経ちましたが、以前より施設看取りが多くなってきている反面、胃瘻の入所者が増えてきています。入所者の体力が低下して経口摂取が困難になると今後の方針につき家族と面談をします。苦痛もなく枯れるように自然のままに看取ることが理想(自然死、老衰死)であると話をして、胃瘻を造らず点滴もせずに年間10~20人位看取っています。しかし、入所者が脳梗塞などで病院に入院し経口摂取不能になった場合は胃瘻を造設されて施設に戻ってこられることがあります。在院日数短縮のためには胃瘻造設して退院となることは、今の医療制度では止むを得ない事なのかもしれません。

我が国では急速な高齢化に伴い1年間に亡くなる人は、2030年には、今よりも3割増えて、およそ160万人となる“多死社会”が訪れると言われています。人生の最終段階を穏やかに過ごし、尊厳ある死を迎えるためのキーワードが死の質(QOD: quality of death)と言われています。救命・延命中心の医療から如何に死ぬのかというQODを踏まえた医療への取り組みが求められていると思われます。また、インフォームド・コンセントが成立するためには、医療者側と患者・家族側との死生観の隔たりを埋めていくことも必要と思われます。

天地神明にさからうことなかれ 
おごるべからず
生き死にはものの常也 
医ノ道はよそにありと知るべし
(ブラック・ジャック:湯治場の二人;
馮二斉の遺書)

— 長野医報2015年4月号 —

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