AIが継ぐ魂 ― 文化の方舟(はこぶね) ―

Where Do We Come From?
What Are We?
Where Are We Going?
― Paul Gauguin

AIの進化:対話型から自律行動型へ

2022年11月30日、ChatGPTが公開され、わずか2ヶ月でユーザー数が1億人に達した。AIが一部の専門家のものから、世界中の人にとって身近な存在となったのである。初期のAIは問いに答える「計算する知能」であったが、現代のAIは目的を理解し、手順を考える「行動する知能」へと変貌を遂げてきている。この進化の道筋には三つの大きな波がある。第一の波、AIエージェントは「意志を持つ知能」として、設定した目標に向けて自律的に計画を立て、実行し、環境に適応しながら行動するAIシステムである。そして第二の波、デジタルツイン(Digital twin)は、現実世界で集めたデータを基に、現実世界と相似した世界を仮想空間に再現する技術であり、AIが世界を理解し、再構築する力を得た段階と言える。そして今、人類は第三の波、フィジカルAIの時代を迎えようとしている。これは、テスラの人型ロボット「Optimus」に象徴されるように、AIが身体を得て、物理的世界で自律的に行動する段階である。AIは自ら情報を分析し、現実空間で人間と協働しながら作業を行う「現実で行動する知能」となる。この三つの波を通して、AIはもはや単なる道具ではなく、人類と共に行動する「共創的存在」へと進化していく。AI技術の進化の先には、人間とAIの融合がもたらす新たな文明の姿がある。

匠の技:デジタル化される暗黙知

日本の製造業を支える町工場には、長年の経験に裏打ちされた匠の技が息づいている。プラスチック製品や金属部品を成形するための母体となる金属金型の製作は、ミクロン単位の精度を要求される職人芸である。デジタル化が進んでも金型づくりは職人の指先と勘が決める世界である。指先の感覚、音の違い、工具の微妙な抵抗などは、言語化できない「暗黙知」として、世代を超えて受け継がれてきた。しかし今や、その技をデジタル技術により「形式知」に変換し記録することが出来るようになってきた。カメラやセンサーにより熟練工の動作データが正確に記録され、匠の感覚がデジタル化される。AIが誰でも匠のようなものづくりが可能となる世界を実現するのである。とはいえ、AIがどれほど精密に動いても、「なぜ作るのか」「誰のために作るのか」という問いには答えられない。製品に思いを込める心はAIにはない。技を極めることは、心を磨くことでもある。AIが匠の手を見事に模倣する時、私たち人間は人間らしさの意味を問われることになる。

ダビンチ手術:身体拡張技術

2009年に手術支援ロボット「ダヴィンチ」が日本で薬事承認され、2025年には全国に800台以上が導入されている。外科手術の多くがロボット支援によって行われるようになってきた。「ダヴィンチ」は、医師の手の震えを補正し、精密な操作を可能にする身体拡張技術である。熟練医の経験をもとにしたシミュレーション訓練で、若手医師でも高い水準の手技を身につけられるようになってきた。次の段階では、AIが世界中の手術データを学習し、最適な切開ラインや縫合パターンを自動で提示するようになるだろう。やがて、AIが自律的に判断し、完全自動のロボット手術を行う時代が訪れるかもしれない。
しかし、正確に治すことは医療の必要条件であるが、十分条件ではない。患者の不安を受け止め、人生の選択を共に考え、寄り添う全人的ケアこそが医療の本質である。AIが最高の「技」を提供し、患者の治癒を物理的にサポートするほど、医師には癒す心を極めることが求められる。技術が進歩するほど、医療はむしろ人間的な温かさを求める営みへと回帰していくことになる。AI技術がヒューマニズムを尊重することに繫がるのである。

AIの未来:文化の方舟

ノルウェー・スヴァールバル諸島にある「世界種子貯蔵庫」は、地球の生物多様性を守る「種子の方舟」として知られる。地球上で農作物が生育できない状況に陥った時に、農作物の種子を絶やさず、常に再生可能な状態に維持しておく最後の砦である。AIが匠の技を継承することは、消えゆく技術を未来に繋ぐ時空を超えた伝承となる。町工場の旋盤音、外科医の指先の緊張、それらは、文化を奏でる人間の営みである。AIがその記憶を学び、未来に運ぶことで、私たちの文化は形を変えて生き続ける。AIによる技と心のデジタル記録は人類の文化的遺伝子を保存する「文化の方舟」となるのである。私たち人間は、身体的にはDNAが情報を伝え、文化的には人から人への伝承で情報を伝えていた。今後はAIが人間の魂の記憶を未来へ運ぶ方舟となっていくだろう。去りゆく人の思考の躍動や感情の響きが、AIという新たな媒体の中で「デジタルの種子」として生き続ける。それは、いずれ物質的な身体から解き放たれ、消えゆく人間の魂が、なお光を放つための一つの進化の形なのかもしれない。

DNAストレージ:生命の記録媒体

生命の遺伝情報はDNAに記録されている。ヒトには、約30億文字の生命の設計図であるDNAがある。ヒトの全身約37兆個の細胞に含まれるDNAの情報量はデジタル換算で約5テラバイトにも及ぶ。
DNAを記憶媒体として用いる方法がDNAストレージである。DNAは高い記憶密度を持つ。1グラムのDNAは理論上、最大215ペタバイト(2億1500万ギガバイト)のデータを保存できる。量子力学的性質とDNA分子の情報保存特性を組み合わせた全く新しいデータストレージ技術「クォンタムDNA」の開発が発表されている。1立方センチメートルのクォンタムDNAに、世界中の図書館にあるすべての書籍データが保存可能とされている。また、理論上の読み取り速度は最大で毎秒3.8テラビットに達し、現在のSSDの約38倍である。DNAは極めて耐久性が高く、数千年以上もデータ保持出来る。さらに、情報維持のためのエネルギーを必要としない理想的な記憶媒体である。DNAから生まれた人の魂の記録が再びDNAに記録されることになるとすれば究極の原点回帰である。

The cosmos is within us.
We are made of star-stuff.
We are a way for the universe to know itself.
― Carl Sagan
(長野医報:2026年2月号)

音声解説:https://drive.google.com/file/d/1la1JNxkeoGTzV_kUAx83P4VlPyEIPVzM/view?usp=drive_link