四季の定点観察 ー 季節の中で歩む道 ー

 21年前、私は篠ノ井でクリニックを開業した。当時の自宅は長野市上野にあった。クリニックまでは片道20km、1時間かけて車で通勤していた。混雑する善光寺周辺や県庁前を抜ける道のりは、朝から神経をすり減らすものだった。特に冬の朝は厳しかった。その当時は一晩で50cmもの雪が積もることも珍しくなかった。午前5時に起床して雪かきをし、ようやく午前7時に家を出る。そんな冬の日が度々あり、車での通勤は身体的にも精神的にも大きな負担となっていた。しかし、通勤にもささやかな楽しみはあった。小市橋で犀川を渡ると、川中島から篠ノ井へ農免道路を走る。信号が少なく流れがスムーズな道である。春になると両側に桃が咲く華やかな道となり、心が癒されるひとときを味わえた。しかし、片道1時間の通勤を続けることは、タイパ、コスパ、事故リスクの点から望ましくなかった。そこで16年前、住むならここと決めていた川中島町今井に新居を構えた。

 転居は、私のライフスタイルを一変させた。それまで患者さんには運動を勧めながら、自分自身は車の運転ばかりで、典型的な“医者の不養生”状態だった。しかし、今井に移ってからは毎日、クリニックまでの道を歩くようにした。僅か1.5kmほどの短い道のりだが、思いがけない楽しみをもたらしてくれた。家を出て、まず今井神社に向かい、お参りをしてから、一面に広がる桃畑の中を歩く。春には梅、桜、桃、リンゴと次々に花が咲く。それはまるで春の花のバトンリレーのようだ。満開となった桃畑の向こうを北陸新幹線が弓矢のように走り抜けていく。自然と文明が織りなす違和感のない不思議な光景である。

 桃畑の先には広々とした田んぼが続く。5月には水が張られ、カモや白鷺、ハクセキレイといった鳥たちが姿を現す。彼らのさえずりや羽ばたく姿は、単調になりがちな通勤路のアクセントになっている。夏の熱気が秋の涼気に変わる時、“目にはさやかに見えねども”季節の変化を感じる。赤トンボが飛べば秋の訪れを知る。9月には黄金色に稲穂が実り、秋の香りが漂う。9月末には稲刈りが進み、昔ながらの稲架掛けの風景になる。秋の深まりと共に日々リンゴの実が赤くなる。やがてリンゴが収穫されると間もなく冬が訪れる。通勤の途中で振り返れば、遠くには戸隠連峰の高妻山がそびえている。その堂々とした姿は、戸隠富士と呼ばれている。初冬から春にかけて、その頂が白く雪化粧をする姿は、何度見ても気高く、私を神聖な気持ちにさせてくれる。

 歩いて通勤することの楽しみは、このような四季の移り変わりを五感で味わえることにある。春には花が咲き、夏には桃がなり、秋には稲穂やリンゴが実り、冬には雪が舞う。長野の豊かな自然がゆっくりと、しかし確実にその姿を変えていくのを日々感じながら歩くことができる。それは心身ともに私を癒してくれる贅沢な時間であり、運動不足の解消にもつながった。実際、徒歩通勤を始めてから、5kgの減量にも成功した。車通勤では決して感じることのできない、風の匂い、土の香り、鳥の声、そして季節ごとの色彩。毎日同じ道を歩くことは、四季の変化の定点観測となる。めぐりゆく季節を体で感じることで、通勤はもはや苦痛ではなく、心身を整える大切な時間となった。この恵まれた環境の中で、日々クリニックに向かえることは、本当に幸せなことだと感じている。(長野医報:2025年11月号)

https://drive.google.com/file/d/1t4JNG8UsV_7H3YZjUkbiAWTOyojwDQCE/view?usp=drive_link
(NotebookLMが作成した動画解説です)